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 現在、京都はさまざまな問題を抱えていますが、その所在を特定できず、メスを入れるべき場所がはっきりとしません。でも、京都が抱える問題が一向に解決に向かわないのは、問題そのものが錯綜している、複雑である、ということだけが原因だとは思えません。

 京都の景観、まちづくり、保存などの問題で、扱われる対象は限定されることが多く(山鉾町、東山、町家、社寺)。事実、これらの対象は大変重要なものです。でも、そこに問題設定がステレオタイプ化していく危険性があるのではないでしょうか。問題の様式化は思考の怠慢にもなりかねません。そうなれば、解決の糸口は隠されたままになってしまいます。
まずは、現在抱えていると「思い込んでいる」問題にこそ、疑問を差し挟むべきではないでしょうか。

 ―「問題」を疑問視し、真の問題を探り当てる―そのためには錯雑とした都市に実際に身をおき、あらゆる要素をじっくりと見つめる必要があります。都市が問題を抱えているなら、具体的な病状は都市内部においてこそあるはずです。しかも現在のように複雑化した都市では、現地におもむくことでしか発見できない問題も無数に潜んでいるでしょう。都市に身をおくことを怠ってしまうと、問題は硬直化・陳腐化してしまい、徒に化膿させることにもなりかねません。

 都市に身を置き、都市をじっくりと見つめるとはいっても、その視線には、さまざまな先入観、固定観念が混ざっています。そのため結局、問題が様式化してしまうという危険がつきまといます。また自分自身の視線の中にある問題を自ら暴き出すことは非常に困難なことです。ですので、都市を経験・凝視する主体は複数であることが必要になります。そしてこの複数の主体が議論を交え、自らの視線を相対化し、それを継続していくことが不可欠なのではないでしょうか。