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タウンアーキテクトの役割と仕事
京都コミュニティ・デザイン・リーグの提案
布野修司
はじめに

日本における「タウンアーキテクト」のあり方をめぐって『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』
*1(以下『序説』)を書いた。少しづつだけれど反応を得つつある*2。もちろん、全てもっともだ、という反応だけではない。描かれた「タウンアーキテクト」の像はあまりにエリート的だ、という批判もある。いくつかのイメージは鏤められているけれど、具体的にはよくわからないという指摘もある。「タウンアーキテクトの役割と仕事」をめぐって、今少し具体的に考えてみたい。『序説』の最後に「地区アーキテクト」の具体的イメージとして提出した「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」(仮称)の準備も進みいよいよ2001年から始動する予定だ*3。その当初のイメージも記してその可能性を広く問いたい。
 欧米における「タウンアーキテクト」あるいは「コミュニティ・アーキテクト」も様々である。『序説』では、副市長として建築市長を置くケース、委員会制をとるケース、「シティ・アーキテクト」がかなりの権限をもつケースなど、ドイツを中心として若干の例を紹介したが、必ずしも制度として定着しているわけではない。欧米の仕組みについてはさらに情報を収集志、検討する必要がある。日本の建築家と都市計画の関わりについての現状をこうした形で問うのは、欧米からの反応を知りたいからでもある。
しかし、ここでの構えは欧米の制度を日本にそのまま当てはめようということではない。取り敢えず「タウンアーキテクト」と呼ぶのであるが、日本の建築家のあり方、日本の建築家が都市計画にどうかかわるか、を考えることによって発想された職能が本論でのテーマである。日本の都市計画のあり方、また建築家のあり方についてのある種の反省が論の背景にある。大きなインパクトになったのは、阪神・淡路大震災とその復興計画の展開である。『序説』では、まず(第1章 戦後建築の50年)、その教訓について論じている(「3 コミュニティ計画の可能性・・・阪神・淡路大震災の教訓」)。
そして何よりも、日本の建築家の今後のあり方についての関心がある。「建築家」の側に「タウンアーキテクト」たるべき理由があるのである。

1. 「タウンアーキテクト」とは
 「タウンアーキテクト」を直訳すれば「まちの建築家」である。幾分ニュアンスを込めると、「まちづくり」を担う専門家が「タウンアーキテクト」である。とにかく、それぞれのまちの「まちづくり」に様々に関わる「建築家」たちを「タウンアーキテクト」と呼ぼうと思う。
 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。『序説』で考えたように、いくつか問題があるが、地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。
 何も全く新たな職能というわけではない。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている仕事である。ただ、「タウンアーキテクト」は、そのまちに密着した存在と考えたい。必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。そういう意味では、「コミュニティ・アーキテクト」といってもいいかもしれない。「地域社会の建築家」である。
 「建築家」は、基本的には施主の代弁者である。しかし、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割がある。医者、弁護士などとともにプロフェッションとされるのは、命、財産に関わる職能だからである。その根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をももつ。

「タウンアーキテクト」を一般的に規定すれば以下のようになる。
 @「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 A「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。

 Bここで具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。

 Cもちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」でありうる。また、「建築家」こそ「タウンアーキテクト」としての役割を果たすべきである、という思いがある。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」だからである。

2. 何故、「タウンアーキテクト」か

 「まちづくり」の仕組みとして、「タウンアーキテクト」のような存在が必要とされる一方、「建築家」の方にも「タウンアーキテクト」たるべき理由がある。「建築家」こそ「まちづくり」に積極的に関わるべきなのである。
 第一に、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった、ということがある。21世紀は、ストックの時代だ。地球環境全体の限界が、エネルギー問題、資源問題、食糧問題として意識される中で、建築も無闇に壊すわけにはいかなくなる。既存の建築資源、建築遺産を可能な限り有効活用するのが時代の流れである。新たに建てるよりも、再活用し、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。
 具体的にデータを出そう。1997年の、日本の建設投資の名目国民総生産(GDP)に占める割合は、14.8%である*4。かつては20%にも及んだことがあるが、建設投資は一貫して減りつつある。農業国家から土建国家に戦後日本は変貌を遂げて来たが、さらなる産業構造の転換は不可避である。公共事業見直し、IT(情報技術)革命へ、というのが時の政府のスローガンである。同じ1997年、米国の建設投資は74.2兆円、日本(74.6兆円)と同じであるが、対GDP比は7.6%にすぎない。ヨーロッパになるとさらに建設投資は少ない。英国が4.3%、フランスが4.5%である。
 木造を主体としてきた日本と石造の欧米とは事情を異にするとは言え、日本がほぼ先進諸国の道を辿っていくのは間違いないであろう。乱暴な議論であるが、日本の建設投資が米国並みになるとすれば、「建築家」の数は半分になってもおかしくない。英、仏並みだと1/3以下になってもいい。日本の「建築家」はその存続を問われているのである。
 少なくとも、日本の「建築家」はその仕事の内容、役割を代えていかざるを得ないであろう。ふたつの方向が考えられる。ひとつは、建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そして、もうひとつが「まちづくり」である。ふたつの方向はほぼ同じだ。とにかく、「建築家」はただ建てればいい、という時代ではなくなった。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められる。だから「タウンアーキテクト」である。

3. 日本の「タウンアーキテクト」

 『序説』では、「タウンアーキテクト」の原型となるイメージを思いつくまま列挙した。「建築主事」「デザイン・コーディネーター」「コミッショナー・システム」「マスター・アーキテクト」「インスペクター」などである。いくつかのレヴェルに分けてみたい。
 @建築士
 日本の「タウンアーキテクト」の具体的存在形態を考える上でベースとするのが建築士である。日本には約30万人の一級建築士、約60万人の二級建築士、約1万3000人の木造建築士が存在する。その組織体としての建築士事務所は合わせて約13万社ある。もちろん、建築士に限定する必要はないけれど、まず念頭に置くのは建築士100万人、15万チーム程度の組織である。都道府県毎の数字にはかなりのばらつきがあるが、各地域地域をそれぞれが拠点とするのが基本的イメージである。
 単にあるまちで建築の仕事をしているというだけではなく、地域の活動にも積極的に関わる。また、地域環境の維持管理について責任をもつ。かつて、大工さんや各種の職人さんは身近にいて、家を直したり、植木の手入れをしたり、という本来の仕事だけではなく、近所の様々な相談を受けるそういう存在であった。その延長というわけにはいかないけれど、その現代的蘇生が「タウンアーキテクト」である。
 A地域職人ネットワーク
 
地域環境の維持管理については、例えば具体的に、住宅の増改築、補修などを行うために、職人さんとの連携が不可欠となる。@Aを合わせたチームが「タウンアーキテクト」の原点である。広原盛明の「ハウスドクター」、大野勝彦の「地域住宅工房」など、いくつかの理念が既に提出されている。「京町家作事組」など活動事例もある。
 B建築主事
 
そもそもの発想において「タウンアーキテクト」の原型となるのは「建築主事」(建築基準法第4条に規定される、都道府県、特定の市町村および特別区の長の任命を受けた者)である。全国の自治体、土木事務所、特定行政庁に、約一七〇〇名の建築主事がいて、建築確認業務に従事している。建築確認行政は基本的にはコントロール行政であり、取り締まり行政である。建築基準法に基づいて、確認申請の書類を法に照らしてチェックするのが建築主事の仕事である。しかし、そうした建築確認行政が豊かな都市景観の創出に寄与してきたのか、というとそうは言えない。「タウンアーキテクト」構想の出発点はここである。
 建築主事が「タウンアーキテクト」になればいいのではないか、これが誰もが考える答えである。全国で二千人程度の、あるいは全市町村三六〇〇人程度のすぐれた「タウンアーキテクト」がいて、デザイン指導すれば、相当町並みは違ってくるのではないか。
 しかし、そうはいかないという。デザイン指導に法的根拠がないということもあるが、そもそも、人材がいないという。建築主事さんは、法律や制度には強いかもしれないけれど、どちらかというとデザインには弱いという。もしそうだとするなら、地域の「建築家」が手伝う形を考えればいいのではないか。第二の答えである。
 C建築コミッショナー
 建築主事を積極的に「タウンアーキテクト」として考える場合、いくつかの形態が考えられる。欧米の「タウンアーキテクト」制がまず思い浮かぶ。最も権限をもつケースだと「建築市(町村)長」置く例がある。一般的には、何人かの建築家からなる委員会が任に当たる。建築コミッショナー・システムである。
 日本にもいくつか事例がある。「熊本アートポリス」「クリエイティブ・タウン・岡山(CTO)」「富山町の顔づくりプロジェクト」などにおけるコミッショナー・システムである。ただ、いずれも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎない。むしろ近いのは「都市計画審議会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会である。それらには、本来、「タウンアーキテクト」としての役割がある。地方分権一括法案以降、市町村の権限を認める「都市計画審議会」には大いに期待すべきかもしれない。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕しているのであれば、別の仕組みを考える必要がある。
 D地区アーキテクト
 しかしいずれにしろ、一人のコミショナー、ひとつのコミッティーが自治体全体に責任を負うには限界がある。「タウンアーキテクト」はコミュニティ単位、地区単位で考える必要がある。あるいは、プロジェクト単位で「タウンアーキテクト」の派遣を考える必要がある。この場合、自治体とコミュニティの双方から依頼を受ける形が考えられる。
 具体的には、各種アドヴァイザー制度、「まちづくり協議会」方式、「コンサルタント派遣」制度として展開されているところである。

4. 「タウンアーキテクト」の仕事

 「タウンアーキテクト」は具体的に何を仕事とするのか。『序説』では、「タウンウォッチング」「百年計画」「公開ヒヤリング」・・・等々各地域で試みられたら面白いであろう手法を思いつくまま列挙している。しかし、そこでの議論は、建築コミッショナー(C)としての「タウンアーキテクト」の役割に集中しすぎている。やはりベースとすべきは、身近な仕事において、また具体的な地区で何ができるかであろう。
 「タウンアーキテクト」制をひとつの制度として構想してみることはできる。建築コミッショナー制を導入するのであれば、権限と報酬の設定、任期と任期中の自治体内での業務禁止は前提とされなければならない。
 地区アーキテクト制を実施するためには自治体の支援が不可欠である。地区アーキテクトは、個々の建築設計のアドヴァイザーを行う。住宅相談から設計者を紹介する、そうした試みは様々になされている。また、景観アドヴァイザー、あるいは景観モニターといった制度も考えられる。具体的な計画の実施となると、様々な権利関係の調整が必要となる。そうした意味では、「タウンアーキテクト」は、単にデザインする能力だけでなく、法律や収支計画にも通じていなければならない。また、住民、権利者の調整役を務めなければならない。一番近いイメージは再開発コーディネーターである。
 しかし、制度のみを議論しても始まらない。地域毎に固有の「まちづくり」を期待するのであれば一律の制度はむしろ有害かもしれない。どんな小さなプロジェクトであれ、具体的な事例に学ぶことが先行さるべきである。
 まずは、@身近なディテールから、というのが指針である。また、A持続、が必要である。単発のイヴェントでは弱い。そして持続のためには、B地域社会のコンセンサス、が必要である。合意形成のためには、C参加、が必要であり、D情報公開が不可欠である。
 「まちにコモンスペースを設計しよう」というスローガンは、そうした意味で「タウンアーキテクト」の大きな指針である。一戸の住宅を設計する場合にも相隣関係は常に問われる。一戸が二戸になる共有化されたルールが「まちづくり」の原点である。また、公と私の中間領域、共領域を創出するのが「まちづくり」の出発点である。

5. 京都コミュニティ・デザイン・リーグ

 地区アーキテクト制のシミュレーションとしてのひとつの試みが京都コミュニティ・デザイン・リーグ構想である。
 京都に拠点を置く大学・専門学校などの建築、都市計画、デザイン系の研究室が母胎となる。研究室を主体とするのは、持続性が期待できるからである。研究室は、それぞれ京都のある地区を担当する。地区は、地区割会議によって可能な限り京都全域がカヴァーできることが望ましい。各研究室は、年に一日(春)、担当地区を歩き一定のフォーマット(写真、地図、ヴィデオ等々による地区カルテの作成)で記録する。そして、各研究室は、一日(秋)集い、各地区について様々な問題(変化)を報告する。以上、年に最低二日、京都について共通の作業をする、というのが、提案だ。
 各研究室は担当地区について様々なプロジェクト提案を行ってもいい。地区の人たちと様々な関係ができれば実際の設計の仕事も来るかもしれない。それぞれに年一回の報告会で、提案内容を競えばいい。ただ、持続的に地区を記録するのはノルマだ。できたら、記録をストックしておくセンターが欲しい。
 煮詰まりつつある運営イメージは以下のようだ。
 @参加チーム:基本的には大学の研究室もしくはそれに準ずるグループを一チームとする。個人、あるいは設計事務所、コンサルタント事務所などあらゆるグループに門戸は開かれるが、継続的参加が条件となる。
 A参加チームの構成:参加チームは代表(監督)と幹事(コーチ)およびCD(コミュニティ・デザイナー選手)からなる。CDについては必ずしも大学(組織)にとらわれることなく自由に編成していい。
 B参加チームの仕事(タウンウォッチング 地区カルテの作製):参加チームは原則として2地区担当する。

  A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを1枚にまとめる。GISなどの利用によって、各チームが共有して比較できるようにしたい。また、将来的には公的機関に記録が蓄積されていく仕組みを考える。
  B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。
  C 報告会・シンポジウムの開催:年に一度集まり議論する。
  D 「まちづくり」の実践:それぞれの関係性のなかで具体的な活動を展開する。
 C運営委員会:京都CDLは各チームの代表及び幹事からなる運営委員会によって運営される。必要に応じて運営委員長等コアグループを設定する。
  A 報告会の開催
  B 地区選定調整
  C 相互連絡
 Dコミッショナーおよび事務局:京都CDLはコミッショナーおよび運営委員会を中心に運営される。
A 参加チーム登録 
B 地区割り調整
C 報告会の開催
D 地区カルテの保管と活用
E アクション・プラン
F 他組織との連携

 この構想であれば、どんな地域でも実現可能ではないか。
 京都コミュニティ・デザイン・リーグの顛末についてはいずれ報告したい

*1 建築資料研究社、2000年3月
*2 拙稿、「タウンアーキテクトの組織実践へ向けて」、『群居』50号、2000年10月
*3 拙稿、「身近なディテールから・・・タウンアーキテクトの役割と可能性」、『造景』、2001年1月。
*4 日建連ハンドブック,1999年